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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)6890号 判決 1981年4月24日

原告 竹内一則

右訴訟代理人弁護士 城戸寛

同 中山哲

被告 岡田公明

右訴訟代理人弁護士 米田泰邦

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金一、〇〇〇万円およびこれに対する昭和四九年八月二九日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  診療契約の締結

原告(昭和一四年一月一五日生)は、昭和四七年一月六日、左眼の視力が落ちていることに気づき、枚方市岡東町一八番一五号所在岡田医院を訪れ、眼科医である被告に対し、原告の症状を診察し、その症状・原因を判断して適切なる治療行為をなすよう申込み、被告はこれを承諾した。

2  原告の左眼の失明

被告は、原告に対し、右同日の初診日に、先天性白内障の診断・治療を継続した。原告は、同年八月二九日、関西医科大学附属香里病院(以下香里病院という)を訪れ、同病院において、原告が白内障の外、左眼は緑内障にも罹患しており、かつ緑内障はすでに手遅れで失明は免がれないとの診断を受け、結局その後左眼は失明するに至った。

3  被告の責任

(一) 原告が罹患した緑内障は次の事情により被告診療の最終日である昭和四九年七月二二日以前に発生していたことが明らかである。

(1) 原告の罹患した緑内障が慢性のものであること。

原告が昭和四九年八月二九日、香里病院において診療を受けた際左眼の眼圧が五九・一〇ミリグラム(mmHg、以下同じ)と異常に高かったにもかかわらず、右に至るまで原告が眼痛、頭痛、吐気等の発作症状をもたなかったうえ、前房がやや深く(前房が浅い場合が急性の他覚症状である。)、隅角が広いという慢性の緑内障に見られる症状を示していたことを考慮すれば、原告の罹患した緑内障が慢性のものであった可能性は極めて強く、被告が診療を続けていたころすでに発生していたものである。

(2) 仮に原告の罹患した緑内障が急性のものであったとしても、原告が香里病院で初めて受診した際、すでに手遅れで視力の回復は不可能な状態にまで症状が進行しており、かつ、前記のとおり眼圧が異常に高く、視神経乳頭は蒼白となり、視力も光覚のみとなっていたのであって、このように進んだ状態に達するには、到底一か月では足りず、被告が診療を続けていた当時に既に緑内障の発作が起きていた可能性が強いものである。

(3) 被告診療時に緑内障を疑うべき徴候が存した。

すなわち、原告は白内障に罹患していたものであるが、これは緑内障から来ている可能性があったし、また逆に白内障から緑内障が続発した可能性が存すること、被告の診療中に硝子体混濁が三回にわたって生じているところ、右硝子体混濁の原因となる原田氏病や、ぶどう膜炎が発生した可能性があり、かつ、右各疾患により緑内障が続発していた可能性が存すること、被告の最終診察日である昭和四九年七月二二日に左眼の視力が従来の〇・五ないし〇・三から〇・一五へ異常に低下していること、被告は緑内障の症状を助長する散瞳薬をしきりに使用しており、そのため緑内障の症状でもある散瞳を発見できなかったと考えられること等の事実が存する。

以上のとおり、原告の緑内障は、慢性であっても急性であっても、被告の最終診療日たる昭和四九年七月二二日以前に発生していたことが明らかである。

(二) 被告は、原告の症状につき十分に観察し、毎月ごとの診断経過に注意していれば原告が緑内障をひき起こしていることに気づき、これを治療して左眼の視力を〇・五に維持することは困難でなかった。しかるに被告は、来院する患者が多数なため、原告に対し、一回三分ないし五分という短時間しか診断治療せず、単に何か変ったことはないかと質問し、視力を測定し、点眼薬を投与したうえ翌月の来院を指示するにとどまったため、原告が緑内障に罹患しているのを見逃し、結局原告の左眼を失明させたものであるから、被告には、前記1記載の診療契約上の債務不履行責任が存する。

4  原告の損害

(一) 左眼失明による財産的損害(逸失利益)

(1) 平均賃金(年) 金三六四万七、八三二円

(2) 労働能力喪失率 二二・五パーセント(自賠法施行令二条によれば、一眼失明による労働能力喪失率は四五パーセントであるが、トラックの運転手である原告が最初被告に診療を受けたときすでに左眼の視力がトラックを運転し得る視力の最下限である〇・五に落ちていたことを考慮し、右喪失率の二分の一とした。)

(3) 就労可能年数 三二年(ホフマン係数一八・八〇六)

(4) 逸失利益 金一、五四三万五、二五三円(一円未満切り捨て)

金三六四万七、八三二円×一〇〇分の二二・五×一八・八〇六=一、五四三万五、二五三円

(二) 精神的損害

原告は、左眼緑内障により香里病院において、昭和四九年一一月一一日、左眼虹彩摘出手術を受けており、右手術後の苦痛や左眼失明による仕事上、日常生活上の苦痛が甚大であることならびに右苦痛が一生続くことを考慮すると、その苦痛を慰藉するには金五〇〇万円が相当である。

(三) 原告は、左眼失明により健康保険から金六七万円の補償を得たので、右逸失利益および慰藉料の総額金二、〇四三万五、二四三円から右金額を控除した金一、九七六万五、二四三円を請求し得るものである。

5  よって原告は被告に対し、診療契約上の債務不履行に基づく損害金一、九七六万五、二四三円のうち金一、〇〇〇万円およびこれに対する昭和四九年八月二九日(香里病院での初診日である)から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因記載1の事実のうち、被告が原告を診察した初診日を除き、その余は認める。

2  請求原因記載2の事実のうち、原告が、昭和四九年八月二九日、香里病院において診断を受けた際、緑内障はすでに手遅れで失明は免がれないとの診断を受けたことは不知、その余は認める。

3  請求原因記載3の(一)の事実のうち、原告が、昭和四九年八月二九日、香里病院において診療を受けた際左眼の眼圧が五九・一〇ミリグラムであったこと、被告の最終診察日である昭和四九年七月二二日の原告の左眼の視力が〇・一五であったことは認め、その余は否認ないし争う。

原告が罹患した緑内障は急性のものであって、被告が診断治療していた当時には、原告は緑内障に罹患していなかったものである。すなわち、原告が被告から香里病院へ転医するまでの期間は一か月以上あり、その間に緑内障が発生することも期間的には十分考えられるところ、被告が原告を治療している間は眼圧の亢進等緑内障を疑わせる徴候は全くなかったのに、香里病院受診時には、被告診療時最低でも〇・一五あった左眼の視力が光覚にまで落ちていたこと、香里病院における初診時の症状もむしろ急性緑内障を思わせるものであったこと、急性の緑内障であっても、頭痛、吐気、視野狭窄、眼痛などの自覚症状を伴わない場合も存することからして、原告の緑内障は急性のものであり、被告が診療していた当時には発症していなかったことが明らかである。

4  請求原因記載3の(二)の事実は争う。被告は、原告に対し、治療については食餌療法を指示し、点眼薬として副作用の殆んどないカタリンを処方していた。また診察については、指圧法による眼圧測定、凸レンズによる角膜検査、一般的な眼底検査および精密眼底検査を欠かさず行い、必要があれば適宜視力検査(一二回)、視野検査(二回)、スリットランプによる検査(四回)を行って、白内障の進行状態、緑内障の続発の有無などを慎重にチェックしていた。問診も十分行い、その際に眼痛、頭痛、視力低下、視野狭窄、吐気などの留意すべき症状を教え、異常があれば直ちに受診するように指示していたが、原告は特別な異常はないと述べていた。結局被告の診療期間中には、緑内障を疑わせる徴候すらなかった。また仮に原告の緑内障の発症の初期の段階が、被告の診療期間にかかっていたとしても、右のごとく諸検査および問診の結果によっても緑内障を疑わせる徴候を発見することができなかったのであるから、開業眼科医のレベルでは原告の緑内障を発見することは不可能であった。

5  請求原因記載4および5の事実は不知であり、その主張はいずれも争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因記載1の事実

《証拠省略》によれば、被告が原告を診察した初診日が昭和四七年一月六日であったことが認められ、その余の請求原因記載1の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因記載2の事実について

《証拠省略》によれば、原告が、昭和四九年八月二九日、香里病院において診断を受けた際、緑内障はすでに手遅れで失明は免れないとの診断を受けたことが認められ、その余の請求原因記載2の事実は当事者間に争いがない。

三  被告の責任

《証拠省略》によれば、原告は、香里病院で初めて受診した昭和四九年八月二二日ころ、左眼が緑内障(眼圧が亢進している状態をいう)に罹患していたことが認められる。しかし、左記1ないし3において詳述するように、本件全証拠によっても原告の罹患した緑内障または緑内障を続発させる原因となった疾患が、被告が原告を診療していた昭和四七年一月ころから昭和四九年七月二二日までの間にすでに存在していたとは認めることができない。すなわち、

1  原告の罹患した緑内障が慢性の緑内障とは認められないこと。

原告は、左眼の眼圧が異常に高いにもかかわらず、視力障害を除いては眼痛等の自覚症状が原告になかったこと、原告の左眼の隅角が広く、前房も深かったことをあげて原告の緑内障は慢性のものであった旨主張するので、この点について判断する。

《証拠省略》によれば、原発性緑内障(原因の全く不明な眼圧の亢進)、続発性緑内障(他の眼疾患に続発する眼圧の亢進)とも、その急性の症状は、自覚症状としては、眼痛、頭痛、嘔気、嘔吐、急激な視力低下、霧視、虹暈視等が、他覚症状としては、角膜の混濁および浮腫、瞳孔の散大、角膜周擁(毛様)充血、浅い前房、眼圧の著しい上昇(五〇ミリグラムから八〇ミリグラム以上にまで達する)、眼底の透見困難(眼底が透見できる際には乳頭充血、血管怒張)、隅角の閉塞等の症状が存すること、しかし、急性緑内障においても常に右各症状が全部または大部分出現するとは限らず、自覚症状を有しない場合も存すること、発作を繰り返したり眼圧の上昇期間が先行したりして眼圧の上昇している期間が続くと乳頭陥凹や乳頭の萎縮退色を示すことがそれぞれ認められる。そこで原告の症状についてみるに、《証拠省略》によれば、昭和四九年八月二九日、香里病院において緑内障と診断されるまで、原告には視力障害を除いては特に急性の緑内障の自覚症状はなかったが、他覚症状としては、右診断時、左眼の眼圧が五九・一〇ミリグラムと著しく亢進し、角膜には浮腫状の混濁が存し、瞳孔が中等度に散大していたことおよび眼底の透見が困難であったことなど急性の緑内障の他覚症状が存し、自覚症状としても、被告の最終診療日たる同年七月二二日に〇・一五あった左眼の視力が光覚にまで急激に低下しており、同年八月三〇日に大阪大学において診断を受けた際には、同年七月ころから左眼が全く見えないと訴えているなどの自覚症状が存すること、左眼の隅角が広く、前房もやや深かったが、右は慢性の緑内障に付随する病的な変化といったものではなく、単に正常な状態であって、急性の緑内障の症状の一部が出現していないというにすぎないこと、ならびに、原告が右香里病院で診断を受けた際、乳頭が蒼白であり、その時点までに眼圧亢進の状態がしばらく続いたと推定されること、角膜の表面に急性の緑内障の症状ともいえる沈着物の付着が存し、右沈着の付着した時期が、それほど古いものではなく、せいぜい一〇日位前であること、急性緑内障に付随する症状の一部(結膜の充血等)がすでに消失しかかっていたことがそれぞれ認められ、右事実によれば、《証拠省略》のごとく原告の罹患した緑内障は急性の緑内障であり、かつ、香里病院において緑内障と診断されたころには、すでに急性期を過ぎた状態であった可能性が強く、結局本件全証拠によっても、原告の緑内障が慢性の緑内障であるとは認められない。したがって、原告の緑内障が慢性の緑内障であることを前提にして、被告診療時にすでに原告の緑内障は発症していた旨の原告主張は、その前提を欠き理由がない。

2  原告は、仮に原告の緑内障が急性のものであっても、昭和四九年七月二二日の被告の最終診療日までには、原告の緑内障は発症していた旨主張する。しかし、《証拠省略》によれば、原告は、昭和四九年八月二九日、香里病院で診断を受けた際、左眼の眼圧が五九・一〇ミリグラムと著しく亢進し、その視力も光覚にまで低下していたことが認められるが、他方右各証拠によれば、急性の緑内障の発作の場合一日ないし二日という短期間で右のような症状を呈する場合が存し、香里病院での初診の際、すでに乳頭が蒼白であったことを考慮しても、期間内には被告の最終診療日たる同年七月二二日以後に急性の緑内障が発症したことも十分考えられること、被告が診療していた当時、被告は指圧法による眼圧測定、精密眼底検査、スリットランプ検査、簡易眼科検査等を実施して原告の左眼を検査していたが、昭和四九年七月二二日にそれまで〇・三ないし〇・四あった視力が〇・一五に低下したことを除いては眼圧の上昇等急性の緑内障を疑わせる症状は発見できなかったこと(通常白内障の存在は、緑内障の徴候であるとは言えない。)、右視力の低下も、白内障が進行したことによる可能性も強いことがそれぞれ認められ、右事実に照らせば、被告の診療期間中に原告の緑内障が発症していたと断定することは到底できないものである。

3  右のとおり、被告診療時に原告の緑内障が発症していたと断定することはできないところ、原告は、被告診療時に緑内障を続発させるような眼疾患の徴候が存した旨主張するので、この点について判断する。

(一)  白内障について

《証拠省略》によれば、原告が緑内障を発症する前に外傷性白内障に罹患していたことおよび原告の左眼の隅角が広かったことが認められ、これらの事実はあたかも白内障から緑内障を続発したことを疑わせるかのようではあるが、他方、右各証拠によれば、香里病院における初診の際、原告の左眼の角膜の表面に沈着物が付着していたことが認められるので、白内障との関連が否定され、むしろ他の要素によって緑内障が発症したことが窺えること、香里病院において最初に原告を診断した糸田川医師も、外傷性白内障の存在と隅角が広いことから続発性緑内障という病名をつけたけれどもその原因疾患が何であるかは結局わからない旨証言していることが認められ、右事実に照らすと、原告の緑内障が白内障から続発したと認めることもできない。

(二)  硝子体混濁および視力の低下について

前掲各証拠および《証拠省略》によれば、被告の診療期間中、原告の左眼に三回にわたって硝子体混濁が出現し、昭和四九年六月二〇日の硝子体混濁にひき続き、同年七月二二日にはそれまで〇・三ないし〇・四あった視力が〇・一五に低下したこと、硝子体混濁をひき起こす疾患としてぶどう膜炎が存するところ、同年八月二九日に原告が香里病院で診断を受けた際、角膜のぶどう膜炎によっても付着する沈着物の付着が発見されたこと、ぶどう膜炎によって緑内障が続発する可能性が存することが認められ、右事実によれば、被告診療時に既にぶどう膜炎が発病し、このぶどう膜炎から緑内障が発症した可能性があるとも認められそうであるが、しかし、右各証拠によれば、昭和四九年六月二〇日に硝子体混濁が出現した後、同年七月二二日には右混濁が消失していること、前述のごとく、同日における視力の低下は白内障が進行したことによる可能性も強いこと、角膜表面に沈着物が付着することは急性に起こった原発性緑内障の場合にもあること、被告は同年六月二〇日に精密眼底検査、スリット検査、簡易眼科検査を、同年七月二二日に精密眼底検査を施行しているが、ぶどう膜炎を疑わせるような症状は発見できなかったことが認められ、右事実を考慮すると、仮に原告の罹患した緑内障がぶどう膜炎から続発したとしても、右ぶどう膜炎が被告診療時に既に発病していたとするには証明が不十分であり、これを認めることはできない。また、原告は、被告診療時原告には原田氏病が存在した疑いがある旨主張するが、本件全証拠によってもこれを認めることができない。

(三)  散瞳薬の使用について

本件全証拠によるも、被告が散瞳薬を使用していたため原告の左眼が散瞳していたのを見逃がしたことを認めることはできない。また、《証拠省略》によれば、原告の治療に際し、被告が散瞳薬を使用していたこと、散瞳薬の使用は、原告の罹患していた白内障を前提にすると、その症状を抑え視力を改善する適切な措置であるが、緑内障が併存していた場合には有害な場合も存することが認められるところ、前記のとおり、本件全証拠によるも被告診療時に原告の左眼に緑内障が併存していたことは認められないから、被告の散瞳薬の使用が不適切であったとは認めることができない。

四  結論

してみると、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡村旦 裁判官 熊谷絢子 小林正)

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